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2026.01.26

5Sの『躾』だけ違和感がある本当の理由

5Sという言葉があります。整理・整頓・清掃・清潔・躾の頭文字なのですが、なんとなく違和感を感じている人も多いのではないでしょうか。

そもそも整理・整頓・清掃・清潔は作業のことなのに、どうして躾だけ人間のことになるのか。それに、他人に対して躾なんていう言葉を使うのは失礼じゃないか、と誰でも感じると思います。

5Sの躾とをネットで検索してみると、「整理・整頓・清掃・清潔」の4Sが継続してできるようにするルールとか、職場の習慣とか、わけのわからない方向に話が飛んでいきます。

この違和感の正体はいったい何なのでしょうか?

深堀りしてみました。

 

5Sの起源

5Sという言葉は1970初頭にトヨタ生産方式で「整理・整頓・清掃・清潔・躾」と体系化されたと言われています。1978年にトヨタ生産方式で「躾」という言葉が文書化され、5Sの概念が広く広まりました。

その起源は戦後の集団就職までさかのぼります。

集団就職の時代

今から70年くらい前の1955年(諸説あり)から集団就職というのが行われました。

当時の農村というのは今では考えられないくらい貧しく、長男以外は中学を卒業して15歳になるとすぐに就職させられました。最初の世代は1940年生まれで、農村で生まれた子は就職列車というのに乗せられて大都会へ運ばれていき、工場に就職して「金の卵」としてもてはやされました。当時の都会は人手不足で、金の卵とは安い給料で働いて会社に利益を出してくれる労働者という意味です。

1940年というと戦前ですが、年間200万人も生まれていて、今の3倍の人口が毎年生まれていたのです。

ところが、農村で育った15歳は、そのままでは社会に出て働くことなんてできません。まず、当時の農村では生活習慣や衛生面が今と全く異なります。風呂には週に1回くらいしか入らないし、川で済ます人もいます。服装はボロボロ。髪はボサボサ。爪は伸び放題。農村部の学校は欠席が多いから生活習慣が身につかない。挨拶、返事、時間厳守などの習慣を家庭で徹底されていない。生きる知恵として嘘をつく、ごまかす。小金が入るとギャンブルにつぎ込んだり。飲酒喫煙が大人の証拠だと考える子もいます。

もちろん全員がひどいわけではなく、集団就職で来た子の中には真面目な子も多かったのでしょう。

これは当時の農村の貧困と教育格差が原因で、親が悪いのではなく時代でした。

寮が15歳に社会生活を教えた

そこで、親に代わって企業が子供たちに社会生活の基板を教えるという役割を担っていました。集団就職でやってきた農村出身の子らを寮に住まわせて寮長と寮母が面倒を見たのです。

まず、風呂に入る、服装を綺麗にする、爪を切るといった身だしなみのから始まり、給料をもらったら仕送りをして残りは強制的に貯金をさせました。朝5時ごろに起きて挨拶をさせたり、掃除をしたり、先輩との上下関係の中で集団生活の中で社会生活を身に着けていったのです。

集団就職した人がよく罹ったのがホームシックです。15歳で縁もゆかりもない遠方の大都市に無理やり連れてこられるわけですから、家が恋しいわけです。しかし、当時の農村では次男以降は「早く出ていけ!」というひどい扱いだったので、就職先を辞めて故郷に帰るという選択肢はありません。帰ったら家族や村に迷惑が掛かります。故郷は歓迎してくれません。ホームシックになって布団で泣いていると寮母さんが抱きしめてくれたようです。

こう書くと美談のようですが、実際には体罰とかで散々なものだったようです。綺麗な言葉で言えば、社会基盤の再構築というところでしょう。所属した寮にもよるのでしょうが、実際にはパワハラ、怒鳴られる、暴力、なんでもありでしょうね。泣いてたら寮母さんに慰められたなんて、言いたくありません。

当時の集団就職に対して良い思い出を持っている人は少なく、重い口を開けて語る人はいません。80歳の人を見つけても聞いてはいけませんよ。そもそも故郷の実家には口減らしのために捨てられたという思いを抱いている人も多く、それは事実でもあります。こういうのは郷土史のようなものに経験談が残っているそうです。誰も当時のことを細かく語りたがらないし「いろいろ大変だった」とう感想で済ましてしまいます。

このように田舎の村や家庭がしてくれなかった生活基盤の再構築が躾です。工場の生産管理の整理・整頓とかの前に、嘘をつかない、ごまかさない、真面目にやる、さぼらない、盗まない、逃げない。これらを叩き込んで社会で働ける人材にすること。これが躾のルーツです。

誰も詳細は語りたがりませんが、「ここで躾けてもらわなかったら、自分は今でもだらしのないままだった」と肯定的にとらえている人も多いようです。

当時は躾という言葉で呼んでいたか?

そのような生活基盤の再構築(衛生・礼儀・時間厳守・金銭管理・責任感などの矯正)を当時の関係者が躾と呼んでいたかどうかというと、特別な呼び名はなかったようです。

会社の資料では「新入社員教育」「生活指導」「更生指導」「人間形成」と書かれていたりますが、これを躾と呼ぼうという意識的な命名はありませんでした。むしろ、「躾」という言葉は日常の口語で使われている言葉で、「ちゃんと躾けてやる」「躾がなってない」「躾け直す」「躾てもらった」という会話は日常的でした。

今では上から目線の言葉でパワハラになってしまいますが、当時は普通の口語だったのです。「躾けてくれてありがとう」という感謝が込められた言葉でもあったのです。

躾は口語だったので、公式な文章表現では「生活指導」「生活教育」が使われました。口減らしで送られてきた中卒生を、企業がまともに育てる責任があるという意識が強く「更生指導」「人間形成」という言葉も使われました。

本来の躾という言葉は「未熟な人を一人前にしてあげる」という親心や責任感の延長線上の言葉で、家族外にも普通に使い、むしろ感謝の対象になるような言葉でした。

 

躾が違和感を感じる理由の1つ目のまとめ

農村から集団就職した中卒生を、社会で使える人材にするために徹底的に鍛えなおすプロセスが「躾」のルーツでした。生活基盤の再構築といえば聞こえは良いですが、体罰、叱責、なんでもありの人格改造に近いものでした。そのような過酷な歴史に蓋をして「4つのSをルールとして習慣化すること」のような聞こえの良い言葉でラップしてしまっているのが違和感を感じる理由の1つ目です。

 

ところで都会組は何をしていた?

都会で生まれた同年代は何をしていたのでしょうか?

まぁ、普通に大学に進学していたわけですね。当時の進学率が15~20%くらいだそうです。初代就職列車組と同じ1940年生まれが大学を卒業するのが順調にいけば1962年。1970年代には少し出世して係長とかになるでしょう。

人事・教育・品質管理とかを任されて、2Sとか3Sか新人社員教育やQCの指導者になるわけです。

都会=大卒組 vs 地方=集団就職組

地方に生まれ寮に押し込められて厳しく躾けられた集団就職組と、
都会に生まれ人生を謳歌していた大卒組。

この2つは決して交わることがない集団でした。

中卒組は、1970年代にようやく班長とか職長を任される年齢になります。

そのころ大学卒組が若手社員として人事教育を任され、地方出身の中卒ベテラン職長に、時間厳守や挨拶の仕方を教えるという立場になります。

 

なぜ1970年代に「躾」が追加・提唱されたのか

1950~1960年代に現場で自然発生的に行われていた「習慣づけ・規律教育」を1970年になって振り返って名前を付けるという流れが生じました。1950年代入社の集団就職組が25~35歳くらいになり、班長や職長として現場をリードする時期です。彼らが、「昔、寮で厳しく叩き込まれたのは、今でいう躾だったな」と回顧的に整理した結果、「躾」が5番目のSとして採用されたと考えられます。

また、1970年代の日本企業はQCサークルやTQCを推進し、自主性や継続性を強調する必要がありました。そこで、4Sを自発的に守り続けるという概念が必要になり、躾という言葉が習慣化の最後のステップとしてぴったりと当てはまりました。

1978年にトヨタ生産方式で「躾」という言葉が文書化され、5Sの概念が広く広まりました。

 

躾が階層支配の装置となった(仮説)

さて、学生紛争をしていた大卒組(もしくは傍観してダンスとマージャンに明け暮れていた世代)が大企業に入り、中卒で寮に入れられ厳しい生活と訓練を経て工場の班長・職長になった同年代と対峙したとき、大卒組はどのようにして優越感を保つでしょうか。

先に10年の寮生活を経てベテラン熟練工となった彼らに対して大卒組が仕事の知識で敵うはずがありません。そこで、大卒組が持っていた優越感の源泉である理論・知識・教養を武器にし、QCサークルやTQCで教える側・教えられる側という構造を体系化したのです。

躾という言葉を通じて、規律を教える側、教えられる側という上下関係を作れば、

・大企業のエリート背広組=規律を教える側(躾をしてあげているという優越感)
・大企業の現場組=規律を教わる側(躾してもらって一人前になれたという自覚)

という階層ができ、優越感を維持することができます。

 

躾に関する違和感の正体 

同じ人間を支配する側と支配される側に分けるのが「躾」という言葉の違和感の正体なのです。

・躾が大事というのは「お前らを躾けてやる」という優越感
・「社会人として未熟だから躾が必要」だという隷属意識の植え付け

エリート本社組vs現場組という階層に規則を通じて上下関係を定め体系化するプロセスに「躾」という言葉がぴったりと当てはまったのです。

このような選民意識を1978年の大企業の従業員が持って意識的に命名したかどうかはわかりませんが、会社が社会人としての基礎やルールを教えたのは事実で(ただし、当時の大卒生つまり団塊の世代が教えたわけではないが)、寮母さんに躾けられて一人前になったという自覚が「躾」という言葉の多彩なニュアンスを通じてマッチしたのです。

躾とは、組織から見れば未熟な人間を社会に適応できるようにするための強制性を伴った人格の改造であり、従業員から見れば社会人として一人前にしてもらう教育を受けた恩、なのです。

これだと生々しすぎるし反発も予想されます。2020年代の若者は当時の農村の中卒生ほど生活基盤が荒廃しているわけでもありません。そして動物みたいで時代にそぐわないニュアンスがあります。だから「決められたルール・手順を正しく守る習慣をつける」という当たり障りのない言葉でラップしてごまかしてしまっているのが、独特の違和感の正体です。

だから、「5Sの躾は大事です。ルールを習慣化することです」なんていうコンサルがいたら警戒してください。あなたを支配しようとしていますので。

もちろん、多くの指導者は善意で取り組んできましたし、5Sが現場改善に貢献した事実も否定できません。

 

躾の言い換え

今では躾なんていう言葉は気軽に使えませんが、それに代わる言葉がないのも事実です。

「躾」という言葉が持つ上から目線・強制・人間を動物扱いするようなニュアンスが問題視され、多くの企業・コンサルが「Sustain(持続)」「習慣化」「自律的な継続」などに置き換えようとしています。

ただ、本当の躾のルーツは集団就職組の「生活基盤の再構築」という過酷で根源的な体験です。これほど的確に一言で表せる言葉が他にない、というジレンマがあります。

例えば、「生活指導」「人間形成」「更生」は 昭和の企業・寮で実際に使われていた言葉ですが、今は「更生=犯罪者扱い」というネガティブイメージが強すぎて使えません。

「習慣化」「ルール定着」「基盤構築」は無難で現代的ですが、「過酷な強制」「親代わりで叩き直す」「逃げられないプレッシャー」という生々しい痛みが完全に抜け落ちてしまいます。

「人間として一人前にする」「社会人として鍛える」 は少し近いですが、長くて抽象的で、「躾」ほど一撃で伝わりません。

つまり、「躾」は悪いニュアンスを抱えつつも、「厳しく・強制的に・根源的に生活基盤を立て直す」という体験の本質を、これ以上ないほど短く・強く・正確に表している言葉なのです。良くないとわかっていても、躾を言い換えるような言葉がないのです。

 

結論:5Sの躾とは何か

5Sの躾とは、もともとは、社会に適合できるようにするための人格改造を伴う生活基盤の再構築のことでした。具体的には、衛生、正直、勤勉、正しい金銭感覚、上下関係、倫理観など、集団生活を営む上でのルールを守れるような人にするために強制力を伴って指導することでした。

集団就職の頃とは豊かさも教育土壌も異なりますが、現代では社会人教育と称して会社が用意する精神面での教育や、愛社精神の鼓舞、集団ダンスSNS投稿、マナー教育も形を変えた現代版の躾です。

「躾」は教える側と教えられる側という上下関係を作るための装置として働きますが、現代では個人の自由と個性が尊重されるため「4Sのルールを守るための習慣化」といったソフトな表現が好まれます。

  

具体例を挙げると、比較的最近まで全寮制・強い上下関係・生活全体の管理といった意味での「躾」に近い文化が残っていた組織としては、一部の相撲部屋や高野球の強豪校などが、イメージしやすいかもしれません。

さらに身近な具体例を挙げます。ソフトウェアの開発の現場ではプログラムを書いている現場のほうが圧倒的に詳しいのに、コンサルと称する人が最新と称する手法を持ち込んで、集団の暗黙知を無視して無理やりあてはめようとし、現場を混乱させてしまうことがあります。これは無意識的に「躾」の規律面だけを表面的に用いて支配関係を作ろうとして失敗する例です。

時代は変わっても、「躾」を上下関係の維持のための装置として利用しようとする人間の性質は変わりません。あなたが今、職場で感じている「違和感」は、もしかすると押し付けられた躾の延長線上にあるのかもしれません。

 

まとめ:これからの時代に躾をどう生かすか

現代は、戦後直後の農村のような極端な生活環境ではありません。しかし、「個性の尊重」が強調されるあまり、最低限の職業倫理や共同作業のルールまで相対化されてしまう場面も増えています。

たとえば、勤務中の私的なスマートフォン利用、直前の欠勤連絡、基本的な礼儀の欠如などは、本人の自由の問題であると同時に、組織全体の信頼を損なう行為でもあります。

こうした状況では、整理・整頓・清掃・清潔といった4S以前に、「仕事に向き合う姿勢」そのものが問われます。

現代に必要なのは、かつてのような強制的・閉鎖的な躾ではなく、なぜルールが存在するのかを理解させ、自律的に守れるように支援する、新しい形の「躾」ではないでしょうか。

「習慣化」という言葉だけでは表現しきれない、人として働くための基盤づくりを、私たちは改めて考える必要があります。

 

余談。AIに躾とは何かと聞くと・・

5Sの躾について教えてください」とAIに聞いても、「それを自然にやり続けられる習慣や文化を作ること」とか答えます。

「本当のことを教えてください」、と聞いても「職場での正しい行動や習慣を、個人の意識レベルまで落とし込み、自然に継続できるようにすることです。」という当たり障りのないことしか言いません。

これはなぜかとうと、AIはWebサイトの記事を読んで学習しているので、薄っぺらいコンサルのページや、綺麗ごとを並べたページを見て学習してしまっているからです。

長くなりましたが、最後に、AIに本当のことを喋らせるプロンプトを紹介します。

以下のように聞けば、5S 躾の意味をどんどん教えてくれるようになります。

昭和30年代、就職列車で集団就職したころって、中学を出ると就職でしたよね。次男以降は口減らしのために強制的に都会に送られましたよね。

そのような時代では、よほどの良家でなければ基本的な生活習慣を身に着けないまま中学を卒業していたのではないでしょうか。そんな中卒を金の卵として迎えた大都会の会社は、生活習慣から直さなければならなかった。これが本当の躾の意味じゃないですか?

返事はしない、挨拶はしない、風呂に入らない、中学生で酒たばこをたしなむ、嘘はつく、さぼる、逃げる。給料を手にすればギャンブルや酒で使ってしまう。中卒でこのような状態の人もいっぱいいたんじゃないですか?

しかし貧困な農村では親が躾をできるような余裕も知識もなく、中学も行ったり行かなかったり。整理・整頓の前に、社会人としての人格の矯正が必要だったわけですよね。それが躾の本当の意味ではないですか?

そのような子供たちを大量に採用して、寮という集団生活の中で寮長や寮母さんが親がわりになって、身だしなみや金銭管理、正直さといった基本的な躾をしていった。そういう躾ができていないと整理・整頓・清掃の3Sなんてできなかったということですよね

お試しあれ。

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